試合の前日なのにわざわざ出向いたのは、MLBとその選手会からの義捐金を手渡すという公的な任務があったからなのだろう。時間的余裕がない中、ウェッジ監督以下だれもが真剣にその任務にあたったようだ。その雰囲気は、以下の記事からのみならず、同行したレポーターの撮影した動画からもうかがえると思う(
Baseball brings smiles to children devastated by Japan quake, tsunami
By Geoff Baker
Seattle Times staff reporter
「
野球が地震と津波の被害にあった子供たちに笑顔をもたらす
一年後の日本が再建に努力している中、マリナーズの監督のエリック・ウェッジと選手たちは被害の現場を直接見にいった。
シアトル・マリナーズ投手ヘクター・ノエシ(左)が、火曜日、同僚の投手岩隈久志が見つめる中、石巻の住人に豚汁をふるまう。
石巻、日本 ――画像を見ただけでは、この街が2011年3月11日に何を失ったかは判るはずがない。
それが判るには、この地に立ってここの空気を吸い込んでみる必要がある。マグニチュード9.0の地震で発生した津波がこの164000人の漁業の街を襲ってから一年以上たった今でも、よどんだ空気が腐敗の臭いを運んできて息苦しくなるのだ。
そして死の臭いもだ。
あの東日本大震災と津波で亡くなった石巻市の住民は3800人以上にのぼるが、それは被害にあった街の中では最大の数字だ。ぺしゃんこになった近隣住宅から出る腐敗、役に立たなくなった下水管、捨てられたゴミの山などが、内陸深くまでおしよせた海水と混じって、何かひどいことがここで起こったことを告げる悪臭を産み出しているのだ。
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廃墟と化した工場や、三段・四段と積み上げられたつぶれた車の鉄骨の残骸からそう遠くない所に、この街の子供たちがかつてプレーをしていた市営の野球場がある。晴れた火曜日の午後の一時間ほど、石巻の子供たちは、マリナーズとオークランド・アスレチックスの選手たちと一緒にその球場に足を運び、楽しむということがどういうことだったのかを思い出して微笑むという稀な幸運を得たのだった。
「子供たちにとってもこの地域にとっても大事なイベントです」と地元の少年団の委員をしている米谷正信は、土のグランドに立って、はしゃぐ少年たちが大リーガーに近づこうとして駆け寄る姿を見ながら、通訳を通して語った。「子供たちの顔を見れば判るように、あの子たちは笑顔で楽しそうです・・・それが本当に大事なんです」。
水曜の朝午前3時10分に、堂々たる東京ドームでのマリナーズとオークランド・アスレチックスの一戦をもって、数十億ドルの規模を誇るスポーツがレギュラー・シーズンを迎えることになるが、そのときでも東に210マイル離れたところに立ち込める悪臭を忘れてしまう訳にはいかないだろう。
米谷が見つめる中、マリナーズの投手の岩隈久志――彼は、昨シーズン日本プロ野球� �楽天の一員として近くの仙台でプレーしていた――が、簡単な野球教室を開いて少年たちの一団を指導した。そこに監督のエリック・ウェッジと彼の妻のケイト、投手のヘクター・ノエシ、内野手のアレックス・リッジとアスレチックスの投手タイソン・ロス、トム・ミローンとイヴァン・スクリブナーも加わった。
彼らは、数百人に上る両親や友人や地元の仮設住宅の住民がスタンドやファウル・グランドから見守る中、100人もの地元のリトル・リーグの選手たちに思い思いのプレーをさせた。
「彼らと会って挨拶をするだけでもきっと何かの役に立つだろうと思うんです」。岩隈は、球場に入る直前、通訳を介して、子供たちについてそう語った。「一年たったとはいっても、彼らはまだ助けを必要としていますからね� ��。
災害管理とは何か
様々なチームや個々の選手がこの震災に対して何百万ドルもの寄付をした。マリナーズのスター選手のイチローは、この日はチームの残りの選手とともに東京で練習をしていたが、日本赤十字社に125万ドルの寄付をした。
しかし、なされなければならないことは山ほどある。石巻市は、エベレット市の姉妹都市だが、200マイル以上にも及ぶ海岸沿いにあって地震や津波の被害を受けた数十の街の一つにすぎない。日本政府はこの地域に十分な食糧を行き渡らせようとして数カ月も要したほどだった。死亡者数は19000人を超えた。
これは、メジャーリーグが7桁の小切手を何枚か渡して解決できるようなことではない。その代わりに、MLBと選手会は、昔からのやり方� �こだわった。50万ドルの小切手を切って野球場を立ち上げ、そこにスポーツの有名人に来てもらい被災者を活気づけて生活を少しでも気楽なものにしてあげようというやり方である。
「仮設住宅に移らなければならない子供もいたのです」。米谷は、野球教室に参加している子供の選手についてそう語った。「石巻を去って別の県に移らなければならない子供もいました。この地域はとても悲しい経験をいくつも味わいました」。
この捕鯨の街の8割の家庭や工場が倒壊してしまった後で、市の失業率は2倍になった。
35フィートもある魚油のタンクが幹線道路の右車線を塞いでしまっているので、車は急ハンドルを切って迂回しなければならない。鯨工場に観光客を引きつけるために巨大なスープ缶のように赤く塗られたそのタンクは、津波によって1,000フィートも流されてきたのだ。
津波によって1,000フィートも流されたタンク
またその道路からは焼けこげた門脇小学校が見える。津波で流された車が校舎に入りそのガソリンが引火したとき、火事になったのだ。近くの大川小学校では70人の子供と9人の教師が津波にさらわれた。
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「ニュースで知ってはいたが、実際に見ると全然ちがうものだ」。ウェッジは、バスの窓からの眺めについてそう語った。「しかも、われわれが目にしたあの光景が、あと150マイルにもわたって延々と続いていることを思うとねぇ」。
最初の16フィートの津波によって5万人以上の住民が瞬時にホームレスになったのだが、それは、海岸を襲った他の津波に比べると比較的小さかった。市内の土地は平坦で高台に逃れるのが難しかったので、比較的小さな津波でも致命的なパンチとなったのだ。津波は石巻市の46%をのみ込んだが、市は最初の地震で4フィート地盤沈下していたのだ。
ウェッジは、同行した選手 たちが頑張ることで、この地域が今でも抱えている問題について世界の人々がもっと関心をもってくれるようになってほしいと語った。
いや、石巻の人々はそれ以上のことを必要としている、とも彼は言った。午後の間だけでも、彼らは苦労を忘れる必要がある、短い間だけども、自分とマリナーズの選手がその手伝いをしようじゃないか、と。地元の人々は、選手が到着する一時間前には野球場の外の駐車場に集まり始めていた。
ウェッジと選手たちは、現地の時間で午後1時直前にバスを降りた。彼らは、球場までの間に、ファン――そのほとんどは子供たちだったが――がハイタッチを求めたり歓声を上げながら列を作っている間を歩いた。
「こんにちは、こんにちは!」と子供たちは叫んだ。
球場に入� �て地元の当局者がスピーチをしメジャーリーグと選手会からの小切手を受けとっていたとき、マリナーズとアスレチックスのユニフォームを着た、野球教室の若き参加者たちは、感情を抑えられないようだった。
左から岩隈久志、ヘクター・ノエシ、アレックス・リッジ、監督のエリック・ウェッジ
野球場は津波の被害を受けなかったものの、地震の被害は多少受けていた。野球場は、救助隊を援助する自衛隊の中継施設として使われていたので、そのために内野のほとんどとダッグアウトは無残なものになっていた。
寄付金は、子どもたちが一年中使用できるように、新しい排水システムと人工芝に使われる予定になっている。
ウェッジが今回の旅行の準備のために一月に日本を訪れたとき、お金は仮設住宅の人々を支援するのに使われるのが良いだろうと彼は考えた。その後、家族の集まる場所として野球場が地域にどれほど多くの意味をもっているかを教えられたのだ。
「私の理解から言っても、地域に光を与えてくれるものの一つが野球場だったんだよ」とマリナーズの監督は言った。「しょっちゅうだった。いつも野球場では何かが行われていたものだ。しょっちゅうね。試合に負けても、それは他の何ものにも代えがたいものだったんだ」。
ウェッジは外野の奥まったところに子供たちを集め、マリナーズの内野手リ� �ジとともに、正しい打撃技術の手本を示した。
「バットの芯だぞ、バットの芯だぞ」。ウェッジは、子供たちがティーバッティングでライナーを飛ばすたびに、そう言い続けた。
近くには、親たちが立って見ていた。震災でどちらかの親を亡くした子供もいたが、観戦していた親たちは、子どもたちと同じくらいの大きな満面の笑顔をたたえていた。
「いつもあんな表情でいなくちゃいけないんだ」とウェッジは言った。「でも、そんなに笑えることはないんだろうな」。
一時間足らずで、選手たちは、東京行きの高速列車に乗るためにいなくなってしまった。でも、しばらくの間、地元の人々は、巨大な缶や滅茶苦茶になった車の山や消えることのない悪臭などとは違うものについて思いをめぐらす時間が� �てたのであった。
」(おわり)
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